根岸の里は ・・・ 鬼子母神
「恐れ入谷の鬼子母神」で有名な境内ですが、30年位前に朝顔市で行ったはずが、こんなに狭かったかと驚きました。
それに、鬼の漢字で角がないのを使っているようですが、さすがにパソコンでは出てこないようです。
子規の句碑がありました。 その句は、
蕣や君いかめしき文學士
入谷から出る朝顔の車哉
「蕣」、この字、「草冠に舜」で、「まばたき」か「またたき」かと思ったんですが、・・・詰まりは、病気で寝ているときに漱石が来て、調子の悪そうな自分を見てしかめっ面をしているのかと・・・それだと目がないし、草冠の意味がない、鬼子母神のつながりもない。 調べたら、「あさがお」という漢字でした。
#しかし、病床は妄想でした。 その答えは、TNGさんのコメントにあります。(ご指摘、ありがとうございました)
碑に反射する木はざくろで、実がなっていて、
枝には、
こういう民間信仰を見つけられたときは、ちょっとうれしくなります。
DP2/M にて
#もうひとつ、面白い碑があったのですが、撮影を忘れてしまった・・・残念。
by mgm460 | 2017-08-11 01:39 | Comments(2)
明治26年に読まれた句。
漱石は明治26年に帝大を卒業し文学士の称号を得、子規は前年帝大を退学して浪人生活。
子規の退学の事情については色々説はあるようですが、
この句を彼我の対比から何となく鬱積した心を詠んだ、と読めば
一時の激情から退学を選んでしまったことに対する後悔の念が浮かんでくるように感じられます。
英国人帝大教授が出題したという試験問題に怒りを覚え
発作的に退学を決意したという本人の述懐はその通りだったのでしょう。
ここで描かれている漱石はまだ「猫」の作者ではなく、気鋭の英文学者であるいかめしき文学士 夏目金之助。
それはかっこ悪いミスタイプでした。 すぐに修正しなければ。
しかも、その時期なら、まだ子規は病床には伏せていませんね・・・これも大勘違いですが、勘違いであることを述べましょう。
ありがとうございました。 しかし、良い散歩道でした、まだ続きます。